023: 道の話

道の話をします。
剣道・茶道・華道って道がついているけれど、
技術の道だけでなく、
仏の道があるんだよ。
自分がどんどん仏様に近づいて行く。
死ぬって事ではないんですよ。
魂的な話し。
魂がどんどん成長して行く過程を道というんだよ。

たとえば剣道と言うのは昔は人をやっつけたり、
切り殺したりするだったけど、
だんだん江戸時代とかになってくると
人をめったに切りはしなくなった。
剣道の試合を始める前に挨拶して、
終わった時に挨拶して礼を言う。
この人がいるから自分が強くなれるんだ。
この人がいるから自分の成長が分かったんだ。
この人がいるから自分の弱さが分かったんだ。

「ありがとうございます」といって
必ず挨拶するというのが道なんだよね。

例えば「ついてる神社」でお茶出したり、
今日は豚汁出したよって。
それを食べて殆どの人は
「ごちそうさまです」って言って帰る。
ところが中にはごちそうさまも言えない人がいるんだよね。
作っている人は「別に私はごちそうさまと言って
欲しくてやっているわけでありません」言っても、
そう言う問題じゃないんだよ。

ごちそうになったら
「ごちそうさま」と言うのが礼儀なんだよね。

それをここで言えないようだったら、
どこへ行っても言えないよ。
親にご馳走になったら
「ごちそうさまでした」
会社で「おはようございます」とか
「お先に失礼します」
と言うのが人の道なんだよね。
それができるとかできないとか
「私それはずかしいんです」と言い訳するけど、
ごちそうになったら「ごちそうさま」なの。
そんなことも言えないようだったら社会性がない。

人間にはルールがあるんだよ。
言葉のルールがあるから
それを教えてあげないといけない。

「ついてる神社」という所は
そう言うことを気持ちよくやる。
「豚汁一杯飲んでいきな」っていう愛なの。
出すのも愛なら受ける方も
「ごちそうさま、ありがとう美味しかったよ」言うのが愛なの。
ここにはひとりさんが好きだから来てくれたと思うのだけど、
みんなはどこかへ行ってお勘定を払うでしょう。

ひとりさんはお金出しても
「ありがとう、ごちそうさま」を言うの。
お金出すから言わなくても良い
と思っている人いるけど、それ違うよ。

100円玉食べてみな。
お腹いっぱいにならないよ。
お金出したから良いんだじゃないよ。
魚採る人、肉作る人、野菜作る人。
それを市場で買ってきて料理をしてくれる人がいるから、
始めて食べられるんだよ。
そこまでの過程を全部考えた時に
「ありがとう、ごちそうさま」当たり前なんだ。
そんなこともできないから
社会生活が送っていけないんだ。
殆どの人はできるけど、
ちゃんとできない人がいたら
教えてあげないといけないよ。

それと「ついてる神社」は天国言葉を話し
地獄言葉を言ってはいけない
「総本山」みたいな所なの。
それなのにそこに来て
平気で愚痴言っている人がいるけどおかしいよ。
それって「葬式」でみんなが泣いているのに
大声で笑い話しているのと同じだよ。
ここは天国言葉の道場なの。

それから自発的に「金持札」を
「お財布の中に入れて充電すると良いんだよ」
といって楽しくやっているんだね。
それを見かけたら「それいいですね」って
いってやっていれば良いの。
「迷信だ」とか「私信じません」とか言っちゃいけないよ。
そこに行ったらそこのルールみたいなものがあるの。

善光寺に行くと
みんなが煙を頭や体につけているんだよね。
そこへ行って「迷信だと思います」と言っちゃダメだよ。

みんなが楽しくやっているのに
ブチ壊したらいけないよ。

あんたが何思っても良いけれど
周りの場面をちゃんと見な。
よく見てみんなが楽しそうな雰囲気で、
そこでそんな事やって良いか考えな。
もし、そんな事言うような人だったら、
あんたどこでもやっているよ。

「体に煙をつけて自分も清らかになったような気がします」
って言えば相手を傷つけない。
本屋とかでもそうだけど置いてあるから
ずっと本を読んでいる人いるけど、
立ち読みなんかしちゃいけないよ。
パラパラと見て、買うか買わないかを決めるんだよ。
そういう事をマナーとして、
さっさとできるようにならないといけない。

炊き出しとか
「愛」を与える為にスープ作ったから
「ごちそうさまって言ってもらわなくてもいいんです」
と無料で配っている人がいるけど
味噌汁作るのだって大変だよ。
味噌買って来て、お湯を沸かして、
なかには野菜を持って来てくれる農家の人もいたりして、
いろんな「愛」がある。
その中でお礼も言わずに食べている人や
「感謝はしているけど言うのはテレくさい」という人いるけど、
それでは社会生活がおくれないよ。
ごちそうになったら「ごちそうさま」と言う。

それから「ついてる神社」に来ると
癒され楽しいですと言う人がいますが、
あんたばかり癒されてどうするのさ。
1回2回分からないのはいいけれど、
次には新しい人が来た時に
今度は自分がお茶を入れてあげるとか、
何回も来ていてずっと座っているだけで
それで良いと思っていたらいけないよ。

人生は魂の道場なんだよ。

めったにそういう人いないけど、
そういう人がいたら
「あんたダメだよ」と注意してあげる。
ここで教えてあげなければ
どこでも教えてあげられるとは思えない。
私ひとりさんの弟子なんですっていっても、
お師匠さんに恥かかせているのと同じだよ。
自分の大好きな人に恥じかかせたらおかしいだろう?
誰だってこんな細かい話をしたくないけど、
私はそういう人が世間でそういう事をして
嫌われるのがかわいそうだと思う。
だから一生懸命教えているんだよ。
誰だって豚汁一杯でお礼を言えと
面と向かって言わないよ。
長野の善光寺に行って
みんながそうしていたら自分もそうすれば良い。
「これをやると厄が落ちるんです」
「病気が治るんです」って言われたら自分もやるの。

どうしてもやりたくないならそういう所に行かないの。
行って能書きたれたらいけないんだよ。
『郷に入ったら郷に従え』
というのは魂の精神論者としての
最低のマナーなんだよ。

ひとりさんの弟子というのは
金払っても
「ありがとう、ごちそうさま、美味しかったよ」
と言える人なの。

愚痴・不平不満・泣き言言ったり、
「ごちそうさま」を言えない人が
ひとりさんファンだとか弟子だとかになりたいって…。
その前にやる事考えて
日常生活生きていかないといけないよ。
この話が「愛」に聞こえないといけないよ。
誰だってお説教言って嫌われたくない。
そう思って聞いてください。

これが「道」ですからね