011: マスターの教え01

お師匠さんの話、
俗にいうマスターというお話です。

人間関係がうまい人が一人いるだけで、
この世の中でスイスイわたっていけるし、
人間関係の悪い人がいると、
あっちこっちつかえたりするから、
自分がつかえるだけじゃないんですよ、
交通事故と同じで、
自分がぶつかれば
相手だって傷つくからね。
だから、やっぱりそういっていうのは、
あきらかに法則、
生きていく上の法則みたいのが
間違っちゃってる人がいるんだよね。

そんなのを覚えて、
人はぶつかり合わないで仲良く行く。
笑顔、言葉、身のこなし、
みたいなことを勉強していこうじゃないかっていう、
ところだと思うのね。
だから、魂のグレードが上がるのは、
スキルアップする事だと思うんだよね。

この人あれだから
こういうところ注意してあげようっていう人と、
もう少し様子見てよう、っていう人もいるんだよね。
だけど、様子見ようっていうのは、
様子みてから注意しようっていうのはね、
本来は気がついていたのに注意したくないという、
ホントは怠け心なの。

なんでかっていうと、
様子見てたら、
そのことが分かったんだよね。
それ以上様子を見てたからって、直るわけがない。

もし、ほっといて治るんだったら、
その人が何十年も生きてて、
治ってないわけがないんだよね。
それが、治らないってことは、
気がついていないんだよね。

で、気がついた事をチョッと教えてあげる。
「あなたさ、こういう風にしたほうがいいよ」
「あ~、そうなんですか」

凡人って言うのはね、注意されると、
面白くないから怒ったりする。
でも、魂の修行みたいのしてる人は、
「ありがとうございます。
自分の気がつかないところを
注意して教えていただいて、
ありがとうございます」

なぜかっていうと、
魂の修行してる人っていうのは、
注意されると面白くないって言うけど、
注意する方だって、
人の事注意するのって辛いんだよ。
それなのに言ってくれてありがたいな。

それから、人間っていうのは、
注意されると誰だって
面白くないのかもわかんない。
でも、それじゃ人生向上もしないし、
よくもならない。
その時に、この人の言う事なら聞こうっていう、
この人の言う事なら注意されても自分は、
自分のこと思って言ってくれてんだから
素直にこの人のいうことなら聞こう、っていう、
そういう人をお師匠さん、マスターっていうんで、
自分の都合のいいことばかり
教えてくれる人をマスターとか思ってたら、
それは違うんだよって。

自分がたとえば、
キタナイ話だけど、
自分が身体にウンコつけてりゃ、臭いよね、って。
ウンコついてっから、
あんたきれいにしな、って。
ウンコつけたままで、
香水さえかければいいんだ、っつうけど、
ウンコと香水混ぜたって、
どんなニオイなるか考えてみなって。

それより、そういうことを注意してくれたとき、
ああ、ありがとね~って。
で、そこのとをずーっと様子見てて、
この人をお師匠さんで選ぶときは、
この人、自分のことを思って
いいづらいことを言ってくれてんだ。

いつもイライラしてるようなお師匠さんじゃしょうがないよ。
いつもガミガミ人のことばっかり言って自分がね、
髪の毛ふりみだしたり、
きたねぇ格好をしてんのに
人の事ばっかり注意してんのとかっていうと、
そりゃ、そういう人を
お師匠さんに選ぶほうがおかしいんだよ。

だけど、この人をつたっとき、
ある程度ちゃんとした人が、ね、
もしかしたら人のことなんてかまわなくて
も充分生きてけるような人っているの。
そういう人がわざわざ
「あなたこういうふうにしたほうがいいよ」
「君、ここはこうやってやったほうがいいよ」って、
言われたとき、
せめて素直に「ありがとう」って
聞けるぐらいの気持ちがなかったら、
魂の向上っていうより、
生活の向上もそうだよ。

すべて人間っていうのは、
上へ上へってさ、
上がって行きたいじゃない。
誰かと競争するって、
意味じゃないんだよ。
より人間らしい生活を送りたい、
そしたら分からない事を注意してくれたら
「 ありがとう」って事だよね。

で、そういう人も周りに出てくるの。

でね、これ誤解しないでよ?
全然関係ない
コンビニなんかで立ち読みしてると
「あんた立ち読みしちゃダメだよ」とかって、
そういうことを言えっつってんじゃないんだよ?
自分が親しくなってきて、
お互い魂が向上しあおうよとかっていう、ね?
人間性を向上してこうよっていう
集まりの中の話してんだよ?
世間行って誰でもかれでも注意しまくれとかって
そういうことを言ってるんじゃないんだよ?

特に、ああいう、
ツいてる神社なんかに集まってきたときね、
お互いがみんなで
「人間て何が必要なんですか?」って言ったとき、
人間ていうのは、
“助け合わなきゃ生きられない動物なんだ”って。
で、神と人間との間の子で、動物とは違うんだよね。
助けあいとか、いろんなことするからね。
だからその中で、
お互いが助け合っていかなきゃいけないんだよね。
本当にそうなの。

極端な話なんだけど、
お客さんが10人いて、
みかんが例えば5個しか無いとするじゃない?
そしたら、自分ばかりバカバカバカバカ食って
3個も4個もくっちゃう人いるけど…
食べちゃいけないっつってるんじゃないんだよ?
たかだかみかんの話だから。

みかんって、みかんが5個で、
人間が10人いたら、
半分にすればいいだけなんだよね。
半分ずつ食べりゃ
10個になるんだよね。って。
たったその気遣いなだけだよね、
世の中って。

だから、無いものは分け合う。
あるものは出し合って、
みんなで仲良く生きていかなきゃいけないんだよね。
それをフッと忘れてしまうことがあって、で、
またそういう人っていうのは、
全然気づきがないだけなの。
本当は、他の人はただみかんが嫌いだと思ってるから
食べちゃってるだけかもわかんないんだよ。
だけど、そういうのって不思議なもんでね、
見る人が見るとわかってるの。
気遣いをしてる人かしてない人かっていうのが、分かるの。
「ご馳走になりまーす」とか、
「みかん美味しいから食べていい?」とか、
ほんとにそういうもんで、変な話なんだけど
「えー私ばっかりこんなに食べちゃっていいの?」とか、
気遣ってる人って、
気遣ってるようなこと言いながら食べるか、
仕草に出るの。
だけど全く気遣ってない人って
ほんとに見てて
バカバカバカバカ食べてんだよね。
で、そういう人って、
ついてる神社だけじゃないの、
よそでも必ずやってるの。
それが、その人は気がつかないけど、
嫌われてたり、
その人が人生失敗しちゃってる元だったりするの。

それで、些細な事なの。
人間ってあんまりね、
極端に人を刺しちゃうとか、
どろぼうしちゃうとか
悪口言い合いまくってるとか、
あんまりそういう人っていないの。
そういう人は稀だからね。
それは犯罪者だから。
だけど、犯罪も犯してないのに、
どうもうまく行ってる人
と行ってない人って、その微差なの。
だからその微差を、
微差だから誰も注意したくないんだよ。
その微差を
「ちょっとちょっと、今度ね、
こういうのちょっと気をつけてごらん?」って。
で、それを言われた時、
微差を注意してくれる人が
本当にありがたい人なの。

のべつ幕無しに小言みたいに言ってろって
言ってんじゃないんだよ?
だけどジーっと見ててくれて、
観音菩薩の気持ちで相手が言ってくれた時、
「ありがとうございます!」って
言えるだけの気持ちを持った人が、
みんなが「魂向上していこう」って言う人間なの。

中には、ちょっと注意されたら、
そのことが頭にきて来なくなる人がいるの。
それはそれで縁のない人なの。
あっちこっち行って
傷つけあいながら学ぶ人なの。
だけど、人ってなにも傷ついて、
傷つけあって学ぶ必要ってないんだよね。
お互い知ってる人が教え、
知らない人がありがとうって言い、
それで、円滑に
「いいっこと教えてくれてありがとね」って
それだけで人間って
どんどんどんどん向上できるんだよね。

傷つけ合うより助け合う。
人間って、助けあって生きていく動物なの。
それで神に近づいていくんだよね。

だから、この話も、
細かい話って私大っ嫌いなの。
でも、大っ嫌いだからと言って、
言わないんじゃなくてね、
大っ嫌いなんだけど、細かいことで本当に苦しんでるの。
大きいことは分かってるの。
だからその細かいことが、
もし、どうしても俺についたら、
ちょこっとだけね、注意してあげて下さい。
で、細かいことを注意されたら、
その人に「ありがとうございます」って
言える心を持って下さい。

本当に、つまんない話かもわかんないけど
100回聞いて下さい。
よろしくお願いしまーす。