018: 人は天に可愛がられている 2

はい、おはようございます。
100回聞いてくださいの話です。

前にですね、
人は神に可愛がられてるっていう
話があったんですけど、
神様に可愛がられてるシリーズの
第二弾なんです。
それで、
「ああ、こういうふうに可愛がられてるのか」
っていうことがこれから分かります。

人生で失敗しちゃう人、で、成功する人。
それは、天を味方にして、
世間を味方にしてる人は絶対成功します。
ところが、天を敵にまわす。
それから、世間を敵に回して、
ただ一人闘ってもまず勝てないんです。
そのお話をします。

何言いたいんですかっていうと、
人は人から喜ばれる存在になることが
神様から喜ばれるっていうことなんだよね
っていうことなのね。

んー、たとえばの話なんだけど、
自分は大工さんである。
自分は写真家である。
いろんな仕事があるよね。
で、一番世間を敵に回してしまうっていうのは、
“自分の個性を出そうとする”
「自分はカメラマンだからこういう写真を撮りたい」
「僕はこういう写真を撮りたいんです」
って、ね?

あんたが撮りたい写真は、
あんたの休みに撮ればいいんで、
お客さんが
「こういうのを作って下さい」っつったら、
お客さんが喜ぶものを作ればいいの。
で、「お客は喜んでくれたんだけど、
僕はなーんか釈然としないんですよ」って、
我が強いの。
生まれてきたことを
自分を喜ばす方に重きをおいてるから、
そういう気持ちになるんだよね。
で、それどころか、あなたのやってることは、
人の出してくれた金で
自分が満足しようとしてんだよね?って。
とんでもない話だよって。

お客さんが「これ作ってね」って
言ってんだよね?って。
で、この人を喜ばすことに全力を上げるのに、
「僕は釈然としないんです」って、
あんたの釈然とするものはあんたの金でやんな?
それ趣味だから。
だから、相手が喜ぶものを作る。
で、「喜んでくれたらプロですか?」って
当たり前。
お金もらってんだから。

たとえば大工さんで
「こういう家建てたいんです」と。
「あ、わかりましたこういう家ですね。
だとしたらねお客さん、この屋根裏、
余っちゃうからここ階段つけたら上がれますよ」
「ええ!そんな良いことできるの?」って。
「ここの壁のとこはこの収納つけてごらんなさい」…
だから、相手の希望を聞いて、
相手の希望以上のことをする。
そしたら、喜ばれた上にもっと喜ばれるのが、
最高のプロとしての生き方なんだよね。
だから喜ばれる存在になるっていうのは、
工場で働いてたって、
その工場の仲間から喜ばれる存在になる。
社長から喜ばれる存在になる。
あんたの作ったものが
世間から喜ばれる存在になればいいんだよね?
で、神様に可愛がられてるっていうと、
「神様がいるなら
何で俺をもっと幸せにしてくんないんだ」
っていうけど、いいかい?
笑顔にしてるだけで周りの人が喜ぶんだよねって。
いつもニコニコしてるだけで喜ばれるんだとしたら、
あなたにはもう神様がニコニコするだけの筋肉を
顔に与えてくれてんだよね?
それか、誰かの荷物持ってあげるよっていう、
持てる手がついてるんだよね?
だから、喜ばれる存在になろうと思ったら、
今のその立場で、
どんな仕事をしてようが、
喜ばれる存在になる。
人が喜んでくれるようなことを
言う口もついてるんだよね?
使わないのはあんたで、
全部はもう与えられてんだよね?
で、与えられてるものを使わないのはあんたなんで、
天があなたをすでに可愛がってる。
で、人に喜ばれる存在になるためには何か?んだよね。
そのことを考えてもらいたいの。

で、なんかこういうテープで
自分の話しちゃいけないんだけど、
一生懸命こうやってテープだって入れてるんだけど
別に、これ、この話聞いて、喋ってる俺は知ってるんだよ?
だから絶対俺のために喋ってるんじゃないんだよこれ。
だけど、これだって喜んでくれる人がいるし、
みんなが100回シリーズ楽しみにしてるから、
朝からどうやってやったら喜んでくれるだろうかって、
一生懸命喋ってるんだよね。

うちの寺子屋だってそうなの。
一銭にもなんなくったって、
寺子屋やって
みんなが喜び合えるところってなんだろうって
一生懸命考えてんだよね。
だから、その場その場で、
人が喜んでくれることをする能力は
全員に与えられてるんだって。
だからすでに神様から可愛がられてるだよ。
だから、あなた達の望んでること、
あなた達が神に望んでることは、
おんぶに抱っこっつって
おんぶと抱っこと両方してくれっつってんのと同じで、
一人の人間をいっぺんにおんぶと抱っこはできないんだよ?
神様は、あなたをすでにおんぶしてるか抱っこしてるの(笑)
両方一片にはできないんだよっていうことね。

喜ばれる存在になるためになにをするか。
で、喜ばれる存在になると同時に、
世間が味方する、天が味方するの。
それを、我を出して
「僕はこういうの本当はやりたかったんだよ」
って言ったと同時に世間を全員敵に回すよ?
それから天を敵に回すよ?
あなたのその小っちゃい体で、
世間と天を両方敵にまわしたら絶対勝てないよ。
だからまずそれをよしな。ね?

だから自分の我を出すんじゃないの。
相手が喜んでくれることを考えるの。
で、色んな所でいろんな成功法則出てるの。
その中に、“あなたの個性を出しなさい”
“あなたは何をやりたいんですか?”
“あなたは何したいんですか”
そんなんで成功しないよ。
あの論法は、全員を敵に回すよ。
それで苦しいだけ。

どうしたら自分は、人に何をしてやれるんだろう?
仕事でなんのお手伝いができるんだろう?
自分は、どうしたら喜ばれることが出来るんだろう?
ね?我を捨てな?

どうしても自分のやりたいことがあったら、
休みに好きにやんな?ね。
これ僕趣味なんですよって、
面白いもんだけど、趣味ですら、
どうしたら自分は役に立つ人間になるだろう?
どうしたら、喜んでもらえるんだろう?
そればっかし考えてると、
変なもんで趣味までもが
人が喜んでくれる事やろうってなってくるの。
で、趣味で人に嫌がられることやってる奴って、
絶対そいつのやってる仕事も
人に嫌がられるようなことしかしてない。
こんなこと言うとおかしいけど、
暴走族になろうが
人様に迷惑かけるのが趣味の人だったら
仕事で会社の人にものすごい喜ばれてるとか、
世間に喜ばれることを考えてしないもん。
仕事がストレス溜まったからね、
万引きするんですとかって、いるんだよ?
じゃ、ストレスが溜まるほど仕事してんですか?って、
会社で喜ばれてないようなことだから
ストレスが溜まるんだよ。
まわりの人に喜ばれて、社長に喜ばれて、
みんなから喜ばれてるやつは、
ストレスなんか溜まってないんだよ。
ストレスが溜まって
しょうがなくてどうのこうのって言うこと自体が、
世間を敵に回してるか天を敵に回してるの。
だからそれをよして、
自分が喜ばれるために何が出来るだろう?
これだけで成功するんですか?って。
します。
で、天も味方につきます。
それで、喜ばれるためのものは
すべてもう与えられてます。
あなたにはもう、すべて与えられてます。
だから、それで役に立ててください。

以上でーす。