今から、みんなが幸せになる話をします。
これしか、不幸から抜け出す道はないと
言う事で、この話をします。
非常にあの、簡単な話なんですけど、
分かってくれる人が少ないです。
100人に1人は
分かってくれればいいと思ってます。
大分前から、あの、話してるんですけど、
人は何度も生まれ変わるんだよ。
それから、親と言うものを、
自分で選ぶんだ。
なんのために親を選ぶのか、
なんのために人間は
何度も生まれ変わってくるか、
それから、仕事には呼ばれるんです。
親は自分で選びますけど、
仕事と言うのは、その人に
ピッタリの職場に呼ばれます。
人はなんで、こんなに何度も生まれ変わり、
輪廻転生を繰り返すかって言うと、
一つの修行があります。
その一つの修行と言うのが、
実は、劣等感の克服と言う事です。
いきなり、劣等感と言われても
何の事か分からないし、
自分が劣等感を持ってるとは
思っていないんで、
この話の一番難しいところは、
ほとんどの人は、
自分が劣等感を持っているとは
別に気が付いてないんです。
それと、また親の方も、
劣等感を与えているとは
思っていないんです。
だから、両方が気が付いてないから、
実は、人は苦しむんです。
その事に気付いちゃうと、
あ~あ~なんだ、
そう言う事かって言う事が分かります。
それで、面白いんですけど、
この問題は、分かると
大体の謎が解けちゃうんです。
だから別に、そんなに色々
解決しようとしなくて大丈夫なんです。
分かればいいんです。
本当は、この話を聞くと魂は分かります。
ものすごい簡単な話ですから、
バカバカしいほど簡単な話です。
じゃ今から人は、どう言う形で
劣等感を持つかと言う事を話します。
魂は親を選んで生まれて来る(3′39″~)
まず魂は、親を選んで生まれてきます。
それで、たとえば大人しい子は、
大人しい遺伝子のところに入ります。
よく、キレちゃう子っていうのは、
キレやすいような、遺伝子を選んできます。
そこで、どんな修行をするんですかというと、
実は親というのは未熟な魂なんです。
未熟な魂で子供を育てるんですけど、
子どもは親が未熟だ
ということがわからないんです。
親が未熟だということがわからないと、
実は、親は子どもにとって絶対だから、
子どもの方は自分が未熟なんじゃないか
と思ってしまうんです。
今からどのようなカタチで
人はコンプレックスという、
劣等感を持つかということ話します。
親の未熟さについて(4′54″~)
親の未熟というのは、
大体二通りパターンがあります。
それは単純にキレて暴力を振るう、
酒飲んで暴力ふるうとか、
そういう形の親がいます。
これは未熟過ぎますから、
すご~くよくわかります。
こういう親に育てられると、
意外とですよ、
これも大変なことなんだけど、
人に言ってもわかりやすいです。
うちの親はこういう暴力ふるって、
どうしてこうして、っていう
カタチだとすると、
非常にわかりやすいんですけど、
大概の未熟な親は、
こういう手法は実はとらないんです。
実はどういうふうな手法をとるかというと、
自分のコンプレックスを
おまえのためだという形で
出してくるんです。
まず、親がどのくらい
コンプレックスあるかっていうと、
親がコンプレックスを持っていると、
劣等感を持っていると、
自分は常に不当に
扱われていると思うんです。
やがて子供もそういうふうに思うんだけど、
劣等感があると、
自分がすごく不当に
扱われていると思いだす。
今、親の話をしてるんですよ。
そうすると、その親は世間に出て行っても、
自分がやたら
不当に扱われていると思ってる、
だから損をしていると思ってる、
でなぜか悔しいんです。
だから、よくお酒を飲んで、
あいつが悪くてこいつが悪くてって、
自分以外はみんな悪いと思ってる人いるんです。
あれは極端なコンプレックスがあるんです。
要するに劣等感があると、
自分はすごい損をしてると思っちゃうんです。
それが非常に悔しいんです。
なぜかそうなんです。
これは親の問題だからしょうがないんです。
そういう親が家に帰ってきて
何をするかというと、
二つのことをやりだすんです。
一つは、例え、右上がりの
奇麗な字を書く人がいるとしますね、
お父さんが。
子どもが丸文字を書くと、
そのことを異常に注意するんです。
「これはおまえのためだから」
と言ってるけど、
実は丸文字を書いていても
誰も困ってないんです。
それなのに異常に教えてるっていうのは、
必ず親にコンプレックスがあるんです。
コンプレックスがあるから、
そのことを一所懸命、一所懸命やって
うさ晴らしをしているんです。
愛情という名の、うさ晴らしをしてるんです。
それからもう一つ、
こういううさ晴らしの仕方もあるんです。
例えば、子どもがピアノを始めたとします。
男の子は空手はじめたとします。
そうすると、やってみたら自分には向かないことが
子どもはわかったからやめたいのに、
泣くほどやめたいのに、
「やったことは最後までやってほしいのよ、最後までやってほしいのよ」って、
ずーっと子どもに対して、ものすごい威圧してるんです。
お母さんはここまでやって、
お母さんは内職してでもアルバイトしてでも、
あんたの月謝出すからねって、
でも子供は嫌がってるんです。
最後まで続けてほしいって、
最後っていつですか、最後ってどこですか。
たとえば、じゃあ初段になったらやめてもいいのか、
ゴールを示さないで
ずーっと最後までって言ってんのはなんなんですか、それは。
それって、自分のコンプレックスを
他人で晴らそうとしてるんだよね。
子供で晴らそうとしている。
で、自分でやったことは
最後まで続いたんですかお母さん。
お父さんは最後までつづいたんですか。
この前、とんでもないテレビを見たのね。
そのお母さんが、
自分の好きなこと、
得意なことやっているのに、
「この子に、私が最後まで頑張る姿を見せたい」んだって。
あんた、自分が好きなことしてるんだよね、
それがダンスの闘いだろうが、女相撲の闘いだろうが、
自分の好きなことを一所懸命やっているんだよ。
親のコンプレックス(9′26″~)
子どもはそれが嫌なんだよ。
それと一緒にして、お母さんの偉さを見せようとしてるんだよね。
それでコンプレックスを晴らそうとしてるんだよね。
親は親でコンプレックスをまた持っちゃてたの。
子供にコンプレックスを与えない最高のことっていうのは、
運動会だろうがなんだろうが、
学校でいい成績とると、喜んであげるけど、
成績下がるとあからさまに嫌な顔する。
いい子にしてるときだけは喜んであげるけど、
ちょっと気にいらないと、
「私は何も言ってない」って、
顔が言ってるの、態度が言ってんの、
それが子どもにものすごい劣等感を与えるの。
たとえばうつ病になっちゃったりした子なんか、いい子なの。
いい子なのにもっといい子を望むの。
親がもっといい子、もっといい子って望んでもできないの。
人生って、少し上を望んで
何か挑戦するってすごく楽しいことなの。
子どもが自分で自発的に
「絵だってもっとうまくなりたい」
「ピアノだってうまくなりたい」
って言うのなら楽しいの。
子どもの速度を超えて、もっと望むの、もっと。
それで行かないとすごいがっかりした顔をするの。
それを、あたかも親は
「あんたのことをかわいがっているからだよ」
みたいなことを言うの。
それが子どもにものすごいコンプレックスを与えるの。
劣等感を与えられると、
子供のほうは子供のほうで、
劣等感をうんと与えられると、
自分に対して自分がいい子だったり、
そういう時以外は可愛がられないんだと思う。
大人しい子のパターンだよ。
劣等感をうんと与えられて育った
おとなしい子というのは、
お母さんは自分がいいことをしたときは喜んでくれる、
悪いことをすると怒る、
ということは、自分は何か常に
いいことをしていないといけないんだ
という状態になってくる。
親が勝手に、自分のコンプレックスを補うために
子供を叱っているようなもんなの。
で、親は自分に劣等感があるというのをよく知らないんだよ。
だから子供にそういうことをすると、
やられた子供の方は、自分は無価値だと思っちゃうの。
で、自分に価値を見出すためには、
ひとつのことをしなくちゃいけない。
やりたくないことをやる人(12′48″~)
それは、人が喜ぶことを常にしていないと、
自分は無価値だと思っちゃうから
(全員とはいわないよ)
意外とそういう元気のない子に
「あなた、何やりたいの?」ってきくと、
「自分はボランティアとか福祉をしたい」って言うの。
それは何かいいことをしなけりゃ、
自分には価値がないと思ってる。
それで、必ずそういう人の特徴というのは、
楽しそうにやっていないの、見るからに。
自分のコンプレックスを補うために
ボランティアをやっている人というのは、
本当はやりたいわけではないから、
「やりたいの」っていいながらなかなかやらないの。
ボランティアをやったとすると、
実はそんなことでコンプレックスは補えないから、
今度やらない人に対して
「あの人たちは何でやらないんだろう」って、
不平不満をぶつけ出す。
だって、自分はやりたくてやっているんではないんだもん。
「やりたくないのに私はやっているんだ。
何であなたたちはやらないんだ」って
理論になってくる。
劣等感があっておとなしい人っていうのは、
うつ病になったりする。
いい子なのに、もっといい子になろう
いい子になろうと思って息苦しくなる。
で、暴れらりゃあいいけど、
暴れられないと毎日親に……
愛と言う名の暴力なんだよ、アレ。
ふるわれると、だんだんだんだん、
元気の気をとられちゃう。
そうすると、無気力になっちゃう。
なんで無気力になったかというと、誰かが奪ったんだよ。
学校に行くと大人しい子だから、いじめらる。
いじめる子っていうのは劣等感を持ってる。
で、劣等感を持ってて、いじめられる子も劣等感がある。
劣等感のある大人しい子を、
劣等感のある攻撃的な子がいじめるんだよ。
自分の劣等感に気づかない人(15′43″~)
会社で、おとなしい子はうつ病になったりするんだけど、
劣等感のある人間が……
全員が劣等感があるんじゃないんだよ?
今度社会に出てくると、自分の劣等感を攻撃的な人間が埋めようとする。
世の中にはそんな劣等感のない人間もいる、本当に優しい人間もいる、
そういう人は優しいし能力もあるから出世するし、人望もある。
するとあれを見ながら、自分も同じ地位に上がれば、
ああいうふうにみんなから尊敬されるんだと思う。
ところが劣等感のある人間は、
自分が嫌いなの。
根底的に。
だから、自分が嫌いだから人に好かれわけないの、
だって、自分だってあんたのこと嫌いなんでしょう。
自分が嫌いなんだったら人だって
あなたのことを嫌いだよっていう話になるんだよね。
だから、そうなってくるとその人間は、
出世今度をしても
誰も尊敬してくれないで、
よけい劣等感がわいてくる。
その結果二つの行動をとる。
一つは、会社で弱そうなやつ見つけて、
その人を的に掛けてず~っと怒る。
叱るという名の「うさ晴らし」をし始める。
普通にただ教えるか指導すればいいのに、
それをねちねちねちねち、
ず~っとやるってことは、自分の劣等感をそいつで晴らそうとする。
それの延長で、うさ晴らしをまだ出来る人はいい、で、なれない人がいる。
なれない人はどうなるかっていうと、
家に帰ってきて奥さんの箸の上げ下ろしとか、
ぞうきんの置き方に対してまでねちねちねちねち言うか、
子どもに対してずーっと言ったりしている。
で、気がついてないの。
自分が親から受けてきた劣等感で
そうなっているってことを気がついていない。
このことに気がつくために、
何度も何度も人は生まれてくる。
劣等感を指摘する(18′16″~)
みっちゃん先生という人がいます。
みっちゃん先生はイヌとかネコが大好きだから
すごくかわいがる。
ネコって、すごくかわいいよねって言う。
それは違うよ、
みっちゃんがネコをかわいいと思う気持ちを持っている。
だからネコをかわいがる。
だけれどネコが嫌いな人から見たらゾッとするほど嫌いなんだよね。
だからネコの問題じゃないんだよ。
あなたが劣等感を持ったのは親が未熟なの。
親が子どもが劣等感を持つ程度にしか育てられなかった。
でも、はっきりいうけど、そういうとこ生まれた子も自分が親になったら同じことをする人なの。
だから別にあなたは被害者じゃないんだよ、どどっかで誰かが気づけばいい。
それから課長やなんかで、どんどん怒鳴ったり怒ってる、
「ああ、嫌だな。俺は何でまた怒られるんだろう」じゃない。
怒っている人に、
「この人は相当劣等感がある人なんだ、気の毒な人なんだな」
っていう顔で見ててみな。
怒る人やめちゃうの。
だってバレてるんだもん。
劣等感を持っている人ってのは、自分が劣等感持ってるっていうことがバレるのが一番嫌なの。
だからもっと弱そうな人を探してるの。
もっと未熟な人探して怒ってる。
お父さんが帰ってきて、箸の上げ下ろしからなにから、
「おまえはね、俺は疲れて帰ってきてるのに、こんなおまえの態度じゃしようがないし、
俺は家庭を大事にしているだよ、大事にしているだよ」ってふりをする人に、
「あんた、何でそんな劣等感をもっちゃったの」って言ってみな。
一発でなおっちゃう。
植えつけられた劣等感(20′18″~)
で、どっかであなたに劣等感を植えつけた人がいるの。
それは何ですか、どんなふうにして劣等感を植えつけたんですかっていうと、
暴力とかわかりやすいのはすくない、それより親のがっかりした顔なの。
がっかりしてから立ち直ったように、
「でも大丈夫よ、お母さんがついてるから」
っていっても、そのがっかりした顔が傷つけるの。
それで傷ついてきたの。
だから、うっかりいい子になっちゃうと、
最初から成績がずっと悪かった子とかというのは意外と親も期待していないんだけど、
ちょっと昔勉強ができたとか成績が良かった、というほうが落ち込みが激しい。
期待してあげることが愛だと思ってる。
愛とはそういうものんじゃないの。
あなたが運動会で一着になろうがペケだろうが、
お母さんはあなたのことが大好きだから、関係ないから。
学校の成績が一番だろうがペケだろうが、
私にとっては世界で一番かけがえのない子だから。
私にとってそんな細かいことは関係ないんだ。
神様があなたを授けてくれただけで私は最高だから
って、これが愛なんです。
それを「うちの子はいい子なのよ。うちの子は何なのよ、かんなのよ」と、
いい子のときしかほめない。
だから、あなたが劣等感を持ったのは、
あなたのせいじゃないんだよ、周りが未熟なの。
どこかで誰かがこれに気づけばいいの。
それで未熟な人というのは、例えば夫婦、恋人同士でもそう。
自分以外の世界で奥さんが楽しい思いしてくると、
劣等感のない人は「友達とここへ行って、それでカラオケに行って楽しかったの」
と言ったら「ああ 良かったね」と言う。
ところが劣等感を持っているダンナだと、
なぜか「俺のいないところで、どうやって楽しんだんだ」
とそのことをすごく嫌がって怒るの。
だから、PTAで酒を飲みに行こうが、カラオケを歌ってものすごく楽しくても、
帰ってきたときに楽しくないふりしなきゃいけないの。
例えば「もう嫌になっちゃう。あんなの、私二度と行きたくないのよ。つらかったのよ」
って言わないと喜ばない。
そうすると、そんなことを長く続けたらくたびれちゃうから、もう別れちゃおうとなるの。
でも、別れられたダンナは、なぜか気がつかないの。
で、奥さんでもいるの。「あんたばかっし楽しくていいわね」とか。
人が楽しかったのを「良かったね」と言えばいいのに、
それを言えない雰囲気をつくる。
巧妙に隠された罠(23′53″~)
で、それは何でですか?っていったら、あなたの中に劣等感が、あるから。
お父さんとか親で劣等感のある人の特徴というのは、
愛という名の暴力を振るう人っていうのは、獲物を逃したくない。
子どもは獲物なの。
気がついていないけど、そうなの。
そうすると、子どものことねちねちねちねち、ずーっと、
「もっとしっかりしましょうね」とか
「お母さんがついているからね」とか重圧をかける。
かといって獲物を逃がしたくない。
だから、子どもが自立しようとか独立しようとかいうと、
邪魔したり、適当に困る程度、
要するに与えすぎると逃げていっちゃうから、
逃げない程度のお金をあげるとかする。
それで、ねちねちねちねち、ずーっとやってるの。
女の人は最後の最後、逃げ道は二つしかない。
病気になるか男をつくって逃げ出すか。
なぜか、男をつくって逃げ出したときというのは、
その男というのも劣等感の固まりみたいなやつと、必ずというぐらい一緒になる。
だからこれは、人は劣等感を持っているということなの。
劣等感をやめよう。自分はどんな劣等感を受けてきたんだろう。
劣等感を与える方法が巧妙に隠されているんだよ。
これを理解するのはものすごく難しいんだよ。
その人が幸せじゃなくて落ち込んでいるんだとしたら、
あなたが悪いと思わせるような周り、
特に親とか育てた人は「あなたのためよ」と
うまい具合に言いながら劣等感を与えているんだよ。
だって、本当に周りがあなたのためを考えていたら、
あなたは今幸せなはずなんだよ。
それが幸せじゃないという人は、
親のほうも子どもから気力を奪っているということに気がついていないんだよ。
なぜお母さんがそうなったかというと、自分の親にやられてきたんだよ。
だから、悪いとも何とも思っていないんだよ。
本当にあんたのためだと思っているから、わかりづらいんだよ。
でも、本当にあんたのことだけを考えてくれている人が何人もいるのに、
なぜあなんは不幸なの?
おかしいよね、って。
会社の部長も「おまえのためだ」つって怒ってる。
だけど、おとなしく言ってくれてもわかるよね。
人前で怒らないで、「ちょっとちょっと」って、
本当にかわいがっている人にそんなことするかい、って。
あんたは本当は「うさ晴らし」をしてんだよ、って。
誰かが気がつけばいいんだよ。
そういう親の元に生まれてきたんだから、お母さんも大変だったね。
よっぽどコンプレックス持ってうまれたんだ。どんな親だったの、
って一回聞いてみたら、絶対同じようなことされてるんだよ。
因果を断ち切るというのは、
そのお母さんのお母さんもそれをやられていた。
ずっとそうなの。
どこかでこれを断ち切ればいいんだよ。
ばかばかしいゲームはやめよう(27′16″~)
一人さんの話をみんなが聞いて喜んでくれる、
肩の荷が軽くなるんだよ。
人に劣等感を与えないよう気をつけなよ。
中学しか行っていないから、学校の話をバンバンしてもいいんだよ。
だって、中学校しか出ていない人がいくら学歴の話をしたって誰も劣等感、傷つかないんだよ。
だけど、俺がいい大学行ってて「おたくの学歴は?」と聞いたとき、
相手が高校しか行っていない、
中学しか行っていない人だったら傷つく人もいるんだよ。
人間の言葉の中で一番大切なのは、相手にどうしたら劣等感を与えないかなの。
だから、くだらない話をしちゃ駄目なんだよって。
明らかにそういうサークルなんかで、
六大学の集まりとかというときは話してもいい。
そうでなかったら人を傷つけることは言わないの。
ところが、自分に劣等感がある人間は人を傷つけるだけじゃなくって、
「俺が偉いんだ」って言いたいんだよ。
劣等感を持ったまま出世すると、
出世したから自分を尊敬してくれると思うけど誰も尊敬しないから、
今度は飲み屋だとかいろいろな所へ行ってエバるんだよ。
ひどいのになると、自分が偉いところを見せたいために部下を連れていって、
部下の前で偉ぶって「はい、はい」とかといわせて、
それで俺は部下にごちそうしているんだから
喜ばれているというつもりでいるんだけど、
そんなことをされて喜ぶ人っていないだろうって。
そんなことも気づかないほど未熟なんだよ。
どっかで誰かがこんなばかばかしいゲームやめよう、って。
よくクラブ活動やなんかで、
先輩にめちゃくちゃいじめられて被害者のつもりでいるけど、
被害者じゃないの、その人が上になると自分も同じことをやるんだもん。
心の中に劣等感のない人間は、
劣等感のある人達のところへ行ったときに逃げようと思う。
ところが劣等感のある人間というのは、劣等感のある上の人達が来ると、
この人達に好かれようとする。合わせようとする。
そして、そのうさ晴らしを今度は下にやるの。
それでエネルギーの均衡を保ってるんだけど、
下の人間が言うことを聞かないと、ヒステリーになるか脳に障害をおこしたりする。
小姑の持つ劣等感(30′07″~)
だから結構よくある例が、
お母さんが口うるさくて
「はい、はい」といい子で育っちゃう。
自分が弱いからやられていたから、
今度は嫁が来ると小姑としてその嫁をいじめる。
いじめているうちは精神は普通なの。
ところが嫁さんのほうがもっと魂が上で
「お姉さん、どうしたの、何があってそんなにイライラしているの」
とかって論されたりなんかすると、
キ~ッってヒステリーが出てくるの。
だって、唯一のはけ口がお嫁さんだったから。
だけどその人もやめればいいの。
お母さんもやめればいいの。
闘うことはないの。気づいてあげればいいの。
あなたにガミガミ言ってる親とか、
愛情という暴力を振るってる親とかはコンプレックスがあるの。
劣等感なんだよ。
自分とは関係ないの。
自分とは関係ないって何ですかと言ったとき、
親がこういうふうに言ったから劣等感を持っていると思えるけど、それは親が未熟なの。
学校の先生にこうやって言われたんです、だから自分はこうやって落ち込んでいるんです、っ
て言う人がいるけど、学校の先生のくせにそういうことを言うこと自体が未熟なの。
生徒にやる気を出させることが先生の仕事なのに、
生徒がやる気がなくなっちゃうようなことを発言すること自体がその人の問題なの。
だから、自分がコンプレックスを小さい時に持ったということは、育て方がおかしいの。
自分がコンプレックス持つのやめるの。
劣等感持つのやめて、人にもやらない、それで終わりなの。
周りや親がそういうことを言い始めたら、
「お母さん、なんでそんなに劣等感を持ってるの?」って。
そうしたら必ず「そんなもの持ってないわよ」って言うけど、
持ってる。
子供は神に近い(32′08″~)
劣等感を持ったままをやると、やりたくないの。
さっきの、あのボランティアやってる人も、心からやっている人は楽しそうなの。
暗そうにやっている人は本当はやりたくないの。
子どもを一所懸命に育てている人もいる。
私は会社で同僚やなんかに一所懸命、一所懸命尽くしているのに、
なぜか好かれないという人もいる。
そういう人は楽しそうじゃないから好かれないの。
心から周りの人の仕事を手伝ってやりたかったら、
必ず楽しそうにやっている。
けど、苦痛そうにやっているんだよ。
だから、子どもを一所懸命育てているのに、
子どもに暴力を振るわれたり
殴られたりする人っているのね。
特徴があるの。
それは、自分にコンプレックスがありながら、
コンプレックスがあるから、
自分はお母さんとしていいお母さんになってやらなきゃいけないと思って、
義務でやっている。
だから顔に楽しさが出てないの。
すると、心とやってることがちぐはぐなっちゃう。
それを見ている周りは絶対イライラする。
子どもやなんかはワーッと暴れ出して、
親のことバカバカっってやられるの。
で、何でだかわからない。
もし一所懸命やっても好かれない人、
一所懸命やっててうまくいかない人は、
楽しそうにやっているかどうかを、考えて。
コンプレックスがあると楽しそうにできないの。
で、この話ね、なんでこんなに長くしなきゃいけないかっていうと、
コンプレックスを与えてるほうが愛だと思ってる。
だから不幸は勘違いから始まる。
それから、足りるを知るとかいろんなテープ入れてるけど、
究極的にはこの話なっちゃうの。
で、この話今日も入れてんだけど、もっと何回も何回も、
もっとわかりやすく話さなきゃいけないと思ってんだけど、
今の段階ではこれが限界くらいなの。
親が勘違いして気がつかないの。
だから過剰な期待とかしちゃダメなんだよ、子供に。
ちょっとかっがりしたような顔されて、
通信簿みて「ちょっと下がったね」言われただけで、
どのくらい子供が傷つくかわかってないんだよ。
ものすごい繊細なんだよ子供って。
飴細工やガラス細工みたく、ピンってやったら割れちゃうんだよ。
だから、そういうことってしちゃダメなの。
で、わたし言ったことないもんそんなこと、
って言ってる人いるけど、
「成績下がっちゃったね」て言ってがっかりした顔してから、
「でもお母さん気にしてないから」って。
顔が言ってるの、もう、子供って嘘つけないんだよ、
神に近いんだよ子供って。
親が何思ってっかわかんだよ。
今苦しんでるあんた、それやられてきたんだよ。
だから、やめなってのそれ。
で、またなんでやられてきたかっていうと、
あんたも親なったらやるんだよ、
どっかで断ち切らなくっちゃ、ず~っと不幸が続くんだよ。
劣等感と精神病(35′41″~)
コンプレックスのある親ってね、
自分が帰ってきた時に喜んだ顔をしなきゃいけないとか、
もう常に自分を賞賛していてくれないと嫌なの。
家族はずーっと賞賛してるの。
「お父さんは偉いんだよね」といつも機嫌を取らせてる。
それで、「自分はそれで気持ちいい」からいい家庭だと思ってるの。
だから、突如として奥さんがヒステリーになったりノイローゼになったり気が狂ったりしたら、
自分を賞賛させてなかったかどうか考えな。
「いつも自分をほめてて欲しい」とか、
「いつも自分を見てて欲しい」とか、
劣等感のない人は普通はそんなこと言わないよ。
言ってるとしたら、あんた子供の時からずーっと劣等感の塊なんだよ。
劣等感で出世しちゃう奴っているんだよ。だからがんばらなきゃいけないって。
「あんなに出世してるのに」とか、
よく夫婦で、いつもいつも一緒にいるという夫婦がいるんだよ。
だから他人は仲がいいと思ってるんだよ。
いつもだんなことをほめてると「いい奥さんだね」って、
いつもいつもだんなのことほめていたいかって、普通。
いつも一緒にいるったって、たまにはあっちいきたいこっちいきたい、って時もあるでしょうって。
よっぽど厳しい親に育てられたか、よっぽど劣等感があると、
奥さんとか子供にそれを望むんだよ。
本当にいい奥さんなのに突如として気が狂っちゃって、って、
そんなに愛に包まれて、おかしくなるかいって。
それは医学上はなることもあるのかもわからないよ。でもその前に、自由にさせてたかい?
人と楽しいことがあったら「楽しかったね」とか
「よかったな」とか、「また行っておいでよ」って言ってたかい?って。
なぜそれを言えないんだい?って。
自分には劣等感があるんじゃないか、育てられてきた時の劣等感があるんじゃないか。
もし不幸な人がいたら、幸せの絶頂ならいいよ、それを思ってください。
で、コンプレックスは出世では解決できないの。
いくら家の人がチヤホヤしても解決できないの。
心の中にあるから。
いくら飲み屋とかに行ってお金使っても、その時はチヤホヤされてても本当は嫌われてること知ってるの。
だから帰りにはがくっとして、寂しくなって帰ってくる。
自分の中にコンプレックスがあるんじゃないか、ってことを一回……
もし不幸ならね。
ただ、幸せならそれがないだけなの。
あなたの存在は神が認めている(38′41″~)
男の子でも何人かいたりすると、
親はんなこと気がついてない、ハイハイハイハイって、ものあげると、
ただ近くにいるからあげただけなのに、子供のほうはなんで弟の方に先にあげるんだろうとか、
差別されてるんじゃないかと思うけど、あんたの親、そんなこと考えてないの。
親がイライラしてつっけんどんにしたりなんかすると、そのとき怒りやすいから怒ってるだけなの。
子供のほうは、なんで俺なんだ、弟がかわいいんじゃないかとか、
兄貴がかわいいんじゃないかとか思うけど、そんなことすら考えてないの。
あなたの親はただ思い付きでやってるだけなの。
ただそれだけなんだよ。
だから劣等感を持つほどの問題じゃないんだよ。
劣等感の呪縛からどうやったら解き放たれるか。
気がつけばいい、ただ、ああそうなんだ、と。
未熟な親を選んできてるの。
劣等感をなくす、やめる、これが今世の修行なの。
劣等感を持ったまま幸せになれない。できないの。
できるだけ、人に劣等感を与えない。
で、それが出来れば今世の修行なの。
何回でも起きるの。
で、今世はわからなくてもいいです。
人には劣等感があるんだ。全員じゃないよ。
うまくいってない人、いつも怒ってる人、威張ってるひと、
政治家とかこんなんなって、なんでそこまでエバるんだって人見たとき、
この人は劣等感があるの。
ちっちゃい時よっぽど劣等感のある育てかたした。
その劣等感が外に対する攻撃性になってるの。
劣等感が自分を攻撃した時に、うつ病になったり、部屋から出られなくなったりするの。
原因は、攻撃的なやつが劣等感をもったか、
やさしいやつが劣等感をもったかで違ってくるの。
ただ、それだけなの。原因は劣等感なんだ。
根拠のない劣等感。
劣等感のある人は、人に認められようと努力いっぱいするけど、よしな。
あんたのことは神様が認めてるの。
神が認めてるから、あなたを地球に生ましたの。
神が認めてんだから、周りが何たって、関係ないの。
私のことは神様が認めてくれてるんだ。
そう思えばいいの。
長くなりましたけど、一応、終わりま~す。
劣等感を見抜き対処する(41′58″~)
はい、追伸で~す。
劣等感の人ってどんなタイプなんですか、
自分たちが見抜ける方法がありますか?
っていうんで、見抜ける方法を教えます。
それと。
見抜けたら、今度は、じゃあ、
そこからどうしたら逃れることができますか、
って質問もありますから、
それに対して答えます。
で、まずは、劣等感のある人を見抜方法です。
これはものすごい簡単ですから、誰でもわかります。
まず、職場で想像してください。
やたら怒っている人がいます。
それは子どもの時よっぽど劣等感を受けてます。
いつも劣等感でイライラしてます。
劣等感のある人というのは、常にイライラしていますから、
そのイライラを晴らすためにいつもでかい声を出して怒鳴ってます。
こんなことでおっきい声出さなくたって普通に言えばわかるじゃないかというのに、でかい声を出している人は劣等感があります。
イライラがあります。
劣等感プラス、イライラになってくるんです。
劣等感がイライラに変わります。
イライラに変わると、怒鳴ります。
いいですか、それが攻撃型タイプなんです。
攻撃型劣等感タイプなんです。
それともう一つ、内向型イライラタイプがあります。
内向型イライラタイプっいうのはイライラは同じです。
ところが内向型ですから、怒鳴ることができません。
そのかわし、相手のことをうじうじうじうじ、
「お前これじゃ駄目じゃないか、
お前のためにこうやって言ってやってて、
お前何回言わせるんだよ」
とか
「俺はお前が憎くて言っているんじゃないんだよ」とか、長いです。
片一方は、声ででかいです。でかい声出す必要がないのにでかいです。
で、片一方は、ねちねちあんなに長くやらなくてもいいのに、長いです。
わかりますか。
だって1分で話すはなし、10分してます。
これは両方とも劣等感なんだ、ってことです。
で、もちろん家庭だってそうですよ。
家庭帰ってきて怒鳴ってるお父さんとか、
子供のことねちねちねちねちお説教してるお母さんとか、
これもちっちゃい時の劣等感です。
だから、タイプ的に分けると、がーっとうるさい攻撃型タイプと、
ねちねちねちねち内向型タイプの劣等感のある人がいます。
なかには、怒鳴った上に長いとか、すごいのがいる、
これはものすごい劣等感を持っています。
その人の育った環境いくと、
これじゃあ劣等感受けちゃうよなっていうような育ちかたしています。
でも人を怒鳴ることでは晴れませんよ。
では、そういう人と会ってしまった場合、
上司にもっちゃう場合もあります、
的かけられてやられちゃうときもあります。
では、やられてる人はどうしましょ。
えー、見抜いてください。
この人は私を怒鳴ってるけど、
私のためでもなんでもない、ただ、劣等感なんだっ、て。
「あんた劣等感あるんだよね」
って上役にいえません。
いえなくてもいいです。
呼ばれる前から、朝から、ナニナニ部長が劣等感から救われて、
早く幸せになりますように。
会社に入る前に、ひとつ心の中で念じてから入ってください。
すると、だんだんだんだん変わってきます。
なぜかっていうと、劣等感を持ってる人は劣等感たってことを見抜かれると、もうばれちゃってっから、もう出来ないです。
それとおんなじように、家に帰ってきて怒鳴るおやじさんなんかいたら、もうよほど劣等感を受けてきたんだから、この人は早く劣等感から抜け出して、幸せになりますように。って。
それと、自分のことも、子どもにねちねちねちねちやってるんだとしたら、私、劣等感なんだ、って気がついてください。
たったそれだけで、このパターンがわかる。
そして対処の仕方がわかる。
これだけで、人はばら色の人生になれますよ~。
悪徳裁判官の話(46′06″~)
はい、すいません。
このテープを聴いて、いくつか質問が来てるんでそれに答えたいと思います。
一番多い質問はですね、劣等感が子供のとき受けてあるのはわかったけど、それをなぜ大人まで引きずってしまうんですか。
それでなぜ、そこから抜けられないんですか。
っていう質問と、もうひとつ、自分が劣等感ってわかったんだけど、その後どうしたらいいんですか、
どうしたら救われるんですか、っていう質問が来てるんで、それに答えたいと思います。
まずは、この話を聴いてもらわないと、わかってもらえないと思うんですけど。
実は、悪徳裁判官がいます。
悪徳裁判官っていうのはなんですかっていったとき、
あなたが罪をおかしました、極端な話だけど、あなたは人を殺してしまいました。
そしたら10年の刑を受けました。
で、あなたは出てきました。罪をつぐなって出てきました。
そうしたら、また捕まってしまいました。
またもう一回10年の刑期で入れられました。
で、また出てきました。
そしたらまた捕まってしまいました。
前の罪で何回も何回も捕まってしまいました。
それはおかしいですよね。罪を償って出てきたのにね。
それが実は悪徳裁判官なんです。
で、それはなんですかっていうと、人によって、たとえば小さい時に成績が悪くて親にがっかりされたとします。
そのことを思い出すと、あなたの心の中にいる裁判官が、またその時と同じくらい嫌な気持ちにさせます。
それが何年も何年も続きます。
その子はもう、親に一回嫌な顔された時点でもう十分罪はつぐなっています。
だって嫌な思いしてるでしょ?
それから中には自分の家が貧しくて給食代が免除されてた人だっているんです。
その時にもうその人嫌な思いしてるんです。
それを何回も何回も思いださせては、嫌な気分にさせる。
そういう裁判官が実はあなたの中にいるんです。
一番最初に傷つけたのは、劣等感を与えたのは親かもしれない。
でもその劣等感を何度も何度も繰り返して、嫌な気分にさせてるのは自分の中に入る悪徳裁判官なんです。
悪徳裁判官は自分にもやります、でも人にもやって、人のこと判断していちいち序列をつけたり、
それから、酷い裁判官になると、あすこんちの兄さんは人殺しなのよ、本当は同じ境遇で育ったのに、
兄が人殺しをするような家庭でも、たとえば妹とか弟が真面目に生きているんだとしたら、賞賛されるべきなんだよね。
あんな環境でも悪いことしないで育ったんだ、立派な子だねっていってあげるのが、正しい裁判官だよね。
それを間違って、その子は何もしてないのに、あの親戚に悪いのがいる、
親戚がどうだとか、兄弟がどうだとか、その子の罪じゃないことにまで罪をきせたりなんかするんだよ。
裁判官がいるんだよね。
その裁判官があなたを苦しめている。
で、もうひとつ言うよ。
あなたは小さい時に、家が貧しかった。親に虐待された。
親ががっくりした顔した、それで傷ついたとするよね。
家が貧しいのはあんたの罪ですか?
成績が落ちちゃうこともあるよね、それがあからさまにがっかりした顔したり、
それは親が未熟なんであって、本当は子供の罪じゃないよね。
てことは、一番最初のあなたが傷ついた、その劣等感て無実の罪なんだよ。
無実の罪なのに、そのことを思い出してまたかっがりする。
人間ていろんなことをするけれど、劣等感を持つより、
あ、これでダメだったから次こうしよう、次こうしようっていう、ただその事で経験を積むだけだよね。
ああ、いい経験した、こうやってやっちゃあダメなんだ。
だから自分はこうやろう、って。
いい経験をしただけなのに、劣等感を与えられると、だんだんだんだん萎縮する。
だって、世の中なんて最初っから上手く行くなんてないんだよね。
それがもう2、3回やったらもうダメんなっちゃって。
それって、小さいときに一回何かをやったら、
失敗したら「なんだお前」とかって先生に怒られたとか、親に怒られたとか、一回目から怒られる。
だから、失敗すれば怒られるんだって頭、なっちゃったんだよね、って。
でも最初っから上手くいかないでしょう、って。
だんだん上手くなるんでしょう、って。
それを失敗するたび怒った親が未熟なんで、あなたに罪はないんだよ。
だからあなたが劣等感を最初に持ってしまった一つ目は、あなたが無実の罪なんだ。
で、その無実の罪を与えた親もいけないけど、それを思い出すたんびに
「あたしってこんな人間なんだ、あたしってダメなの」って、
何度も何度も、同じ罪を与える悪徳裁判官から、お別れしてください。
自分の心の中から、そういう悪徳裁判官が出てきたら、断固として
「私の罪は償ったし、もっと言わしてもらうと、一番最初の罪は私の罪じゃございません」って。
「やめてください、もうあなたとは縁を切ります」って。
縁を切ってください。
それで。いいですか。
その後どうしたらいいですか、って質問なんです。
劣等感からもお別れしました。悪徳裁判官ともお別れしました。
そしたら、実は心の中に、その分ぽっかり穴が開くんです。
で、あけたままにしておくと、また昔と同じように、悪徳裁判官がそこに住みついちゃうんです。
そこで、一番肝心なことなんです。
その時に自分の心を埋める方法、ひとつしかないです。
いろんな方法試す人がいるけど、これひとつしかないです。
簡単ですからね。
天国言葉、言霊の力を利用してください。
それでその言霊を、私今からいいますからね。
「ついてる」
「うれしい」
「楽しい」
「感謝してます」
「幸せ」
「ありがとう」
「許します」
これを呪文のように何回も唱えてください。
誰かに、「ありがとう」とか「感謝してます」とか「ついてるね」とかって、人に言うってことはあとにしてください。
それより、心の中であいてるものですから、一日何回も何回も言ってて、心を一杯にしてください。
で、心が一杯になれば人にも言えるようになります。
あふれるように一杯になったらあふれ出るんです。
それを、あふれ出る前に、さあ言いましょうっていったて、人ってなかなか出来ないです。
いいですか。
「ついてる」
「うれしい」
「楽しい」
「感謝してます」
「幸せ」
「ありがとう」
「許します」
この言葉を何回も何回も呪文のように唱えてください。
この言霊の力で、見事になおります。
それで幸せになります。
二度と悪徳裁判官が住み着くこともないです。
それからあなたに劣等感を与えることもないです。
この事だけをやり続けてください。
出来たら、このテープ100回聴くつもりで、やってください。
宜しくお願いしま~す。
不幸の原因(55′20″~)
はい。劣等感の話もいよいよ後半に入ってきました。
劣等感の話を聴いて、そのあと悪徳裁判官の話聴いてくれたと思います。
これで終わりじゃないんですこの話は。
実はですね、悪徳裁判官の話はわからなかったら何回も何回も聴いてください。
そうすっと、必ず一回づつ理解度が深まってくると思います。
為になる話だと思います。
ただですね、なかに、劣等感の話は聴きました。
悪徳裁判官の話も聴きました。
天国言葉もいってます。
でも私は幸せになれないんです。
何かこう、心が満たされないんです。
そういう方が出てきます。
そういう人が出てきたら、どうしたらいいのかってことなんだけど、
普通の人は「あんたちゃんと言ってる?」とか「何回も言ってるかい?」とか、
そういうこと訊いちゃうんですけど、これを聴いても、幸せになれない人は、99%はたったひとつの理由しかないです。
それは、あなたに、今でも劣等感を与え続けてる人、たとえば親とか、上司とか、そういう環境があります。
で、そういうあなたに劣等感を与え続けている人と、実は一緒に生活している人、
たとえば依存してる人、旦那さんとか、別れられない人、生活で依存しちゃってる人がいるんです。
そういう人は何を訊いても幸せになれないです。
だから、「ほんとに天国言葉言ってる?」っていうより、
「あなた誰と一緒に生活してる?」とか、
「会社にいる人、どんな人だい?」って訊いたほうがいいです。
「人間として一番辛いことって何ですか?」っていったら、
あなたに劣等感を与え続けている人と離れられないということなんです。
なぜそれが離れられないんですか、っていうと、そういう人は精神的にあなたを虐待してます。
ところが、本当の悪者は実はあなたなんです。
なぜかというと、あなたは自分のことをもっと低い人間だと思っているんです。
いいですか。
あなたは「もう自分はだらしがない人間で、何ていわれようと、
ここから出ていったら、食っていけないんだ」とか、自分というものをすごく虐待しているんです。
あなたが、あなたを100虐待しているとします。
そうすると普通の人が90虐待しても、あなたはそれに耐えられるんです。
本当に、あなたを虐待しているのはあなたなんです。
あなたは自分を低く低く置いています。
だってあなた以上にあなたを虐待したら、そこには絶対いられませんよ。
絶えられないんです。人間っていうのは。
でも、あなたはもっと自分を虐待しているんです。
だから他人の虐待に耐えられたり、あなたに劣等感を与えるひとから耐えることができるんです。
だから、そういう人って原因をちゃんと突き詰めればいいんです。
それから、人を怒鳴ること、ネチネチ言うこと、止められない人っているんです。
それはいつもいつもイライラしてると、覚せい剤現象っつうんだけど、
覚せい剤を打つと、打った一瞬は気持ち良くなるけど、いつも売っているとそのうち体がむしばまれていくのと同じ。
イライラしていると、部下をどなって、弱い物をいじめる。家に帰ってきて奥さんや子供に
「なぜ肘をつくんだ、なぜ箸の使い方がおかしいんだ」やさしく教えてばいいのに、怒鳴ったり、ネチネチいうことで鬱憤をはらしている。
そんなことをし続けていたら、あなたの奥さんだったり、子供だったり、
部下だったり、あなたの環境を破壊しているのとおんなじだよ。
いつもイライラしている人間というのは、自分がイライラしていない、立派な人間だと思われたいから、
部下に「もっとこうじゃないとダメじゃないか」と正義感を振りかざす。
うちの子は正義感が強くて学校の先生ともめたというけど、そんなに正義感が強い子が、
あっちでもこっちでももめごとを起こすわけないでしょ?イライラしてるんだよ。
そのイライラをあっちにもこっちにもぶつけているんだ。
劣等感の強い人間が、宗教始め、私が神だとかって言い出すと、
悪徳裁判官と一緒にいるから、とんでもない犯罪犯したりする。
あなたの人生を不幸にする最大の敵は劣等感。
劣等感と手を組んでいる悪徳裁判官なの。
もしあなたが今すごく苦しんでいるなら、この劣等感と悪徳裁判官の組み合わせをじっと見つめてください。
そしたら、いろんな人のことを見抜けるようになります。
見抜けるようになった人間は顔が違います。
出てくる波動が違います。人
生も別の人生が歩けます。
自分で自分のことを虐待してないですか?
自分は自分のことを取るに足りない人間だと思ってた。
怒られながらもじっとしてなきゃいけない人間だと思ってた。
その人間をこの人間は怒り続けて、さもお前のためだと言いながら劣等感を晴らそうとする人間なんだ。
1つ1つ見抜いて下さい。
全てを見抜いた時、今あなたに起きている現象が変わります。
あなたから出る波動が変われば、全てが変わります。
もう知り抜いた人間と、知らないで怯えてた人間は違います。
このテープ、分かりづらいかもわかんないけど、何回も聞いてください。
必ずあなたを助けます。
そして、あなたの周りの人をみんな幸せにします。
長いテープになっちゃったんですけど、精一杯入れましたから、ホントに100回聞くつもりで聴いて下さい。
どの部分取り出して聴いてもいいです。
わからないとこだけ何回も集中して聴いてもいいです。
何度も聴いて下さい。
(途中 省略)
神様がこの地球で学びなさいといってることはたった一つなの。
「あなたは、自分を尊重してください」
自分を愛して、自分を尊重すればいいんです。
尊重できない理由はたった一つ。
あなたが完ぺき主義者だからです。
人間は完璧でない。
親も完璧でないんです。あなたも完璧じゃないんです。
完璧じゃないあなたが、完璧になる努力をしてはだめなんです。
おそれより、愛を出してください。
愛を出すのには、天国言葉を言えばいいんです。
たった一つ、おおもとの、自分を尊重しているし、尊敬しているんだ。
幸せになってください。
私は、このテープを一所懸命聴いてくれた、
1時間も2時間も聴いてくれたあなたを、
ずっと尊重し尊敬してます。
私も未熟だけど、私は私で一所懸命尊重し、尊敬してます。
そしたら、やれることも出来てきました、こうやって。
みんなも、エネルギーを恐れに使わないで下さい。
たった1回の人生を、地獄としてここを生きないで下さい。
誰が何と言っても、一人さんはあなたを認めてるし、
神様もあなたをずーっと認めています。
そのことだけ忘れないで下さい。
長い話でした、終わりました。
ありがとうございます。
最後の神様(79′35″~)
長い長いテープになってしまいました。
『地球が天国になる話』
最後まで聴いていただきまして、ありがとうございます。
ささやかなお礼として、最後の神様というテープを入れました。
みなさん、聴いて下さい。
今から、絶対に信じられない不思議な話をします。
『死神』というのがいます。
この死神というのは、なぜ、神という字がついているのだろう?
という話なんですけど。
みなさんが思ってるような、
薄汚れた着物を着たり、
手に鎌を持っていたり、
あれは本当の死神ではありません。
あれは、妖怪とか、もののけとか、
悪魔とかそういうのと一緒にしてます。
本当の死神というのは神様なんです。
ひとつの天使と言ってもいいです。
人間は過去を引きずって生きています。
小さい時失敗した、親に怒られた。
いろんなことを引きずって生きています。
その引きずってる過去から、
切り離してくれるのが、
実は『死』という神様なんです。
これはどういうことですか、っていうと。
たとえばあなたが1ヶ月の命だ、
今日一日の命だといわれたとします。
そうすると、もし今日一日の命だとしたら、
行きたいところ行こう。
それから愛する人にお世話になりましたって言おうとか、
そういうことになります。
死ということを考えます。
親も、ずっと生きてると思うんじゃなくて、
いつ死んじゃうかわかんないっていうと。
ああ、ご飯の一つも食べさしたいな、
お寿司でも食べさしたいな。
あんな貧しい中から自分のことをよく育ててくれたなあとか、
いろんなことを思います。
私は仕事をしてて、いつも死というものを考えます。
そうするとひとたび、死というものに会うと、
どんな会社をつくり、どんな財産をつくり、
どんなに土地を持っても、一瞬にして無くなります。
そうすると、人間って何をするべきなんだろう?
ただただ、死を恐れるんじゃなくて、
死というものがあるんだってこと考えただけで、
そんなに業突く張り張りみたいなことしなくたっていいんだ。
今、幸せじゃないか。
こういうテープでも入れた方がいいんじゃないか。
人が喜ぶ講演会でもした方がいいんじゃないかって、思います。
人は、死というものを恐れて、毛嫌いして生きてたけど、それは、悪魔がそうさせるんです。
死神がとり憑いて、自殺しちゃったとかってのもあるけど、それは寿命が来る前に、勝手に死んだ人にとり憑く、もののけか悪魔です。
昔、こういう外国の映画があって、わたしも小さい時でよく覚えてないんだけど、ああ、この人わかってんなって思ったことがあります。
それは、あるお婆さんが、もう年老いちゃったんだけど、死神がくるのを恐れて、入口という入口に、死神が入れないような、おまじないをして、ただただ、年とって、顔が恐怖に震えてたとき、一人の旅の青年が来て、コンコンって、その青年がもの凄くやさしくて、一晩だけ泊めてください、つってその人を見て安心して中に入れたら、「お婆さん、もう頑張らなくていいんですよ。大変だったですね。私と一緒に逝きましょう」
って言って、やさしくその神様に抱かれるようにして死んでったの。
人は死んで、また生まれ変わり、何度も生まれ変わりするものだから、その迎えにきてくれる死っていうものを、怖いものだ怖いものだって思わせようとするのは、悪魔の仕業なの。
それよりもしかしたら、自分もいつ死ぬかわからないんだ。
そして目の前にいる人もいつ死ぬかわからないんだ。
そう思ったら、イライラしてガガガガってね。
お前なんか大っ嫌いだ、って、ホントは愛してる人に言っちゃうこともある。
でも、相手が死んじゃったら、あいつに俺何てこと言ったんだろう。
逆にいうと、自分が死んじゃったら、自分はすごくね、子供やなんか愛してたのに、お前なんかホントは大っ嫌いだって言っちゃった。
その日に死んじゃったら、自分は何って思うだろう。
そういうことを考えただけで、人はまともに、愛の道に戻れるの。
だから、死というものに神という字がついてるっていうのは、ちゃんとした神なんであって。
あなたたちが思ってる死神はもののけだよ。
本当はそういうものじゃないの。
もっとやさしくて、迎えにきてくれて、その人間が彷徨わないように迎えにきてくれる、もっとやさしいものなの。
その死という故郷へ連れてってくれるための道先案内人。
そのことを思っただけで、人は過去の嫌なことなんて考えてる必要もないし考えられないの。
もう、やることがちゃんと見えてくるの。
それを、死というものを怖がらせ、思い出させないようにして、そうやって生きてるのは悪魔の使いで、あなたたちは悪魔を神だと思い、神を悪魔のように思ってるの。
だから、不幸が続くんだよ。
えー、わかりづらいです。
あの、千人に1人、一万人に1人、それすら、わかんないかもわかんない。
でも、ホントに逆さにモノを考えてる。
人は何度も何度も生まれ変わります。
だから、死なんか恐れることないし、死が恐れることないとしたら、死ぬ時に迎えにきてくれるその人も恐れることがないんです。
死を恐れないっていうのは、ムチャクチャに暴走族になれとか戦争しろとか言ってんじゃないんだよ。
ちゃんと生きてちゃんと迎えにきてくれるまともな話をしてる。
今言った話が、万人に1人でもわかってくれるとうれしいです。
~追伸~
悪魔を神だと思い、神を悪魔だと思ってるっていう言葉があるんですけど、それがわかりづらいっていうので、ちょっとそのこと説明します。
みんなが思ってる死神っていうのは、浮遊霊とか、悪魔とか、妖怪とかそういうのをみんなが死神だと思ってるんだよね、って。
だけど、最後にあなたを死の世界へ連れってってくれる人っていうのは、あんな恐ろしいんじゃなくて、もっと美しくて、ホントに綺麗な輝きがあって、そういう人が出てきて、一緒に逝こうね、って連れってってくれるんですよね。
最後に出てくる最高の神である、最高の天使なんです。
だから、それは違うよって言うことです。
それと、その最後に出てくる天使っていうことを思い出すと、たとえ話なんですけど、この前こういう人がいたんです。
私、親に対して、ついつい、こういうこと言っちゃうんだ、とか。
言ったあとから、こうだよ、なんであんなこと言っちゃったのかなって反省するんだけど、ついつい、言っちゃうんだよね、って人がいたんですけど。
それは、死というものを完全に受け入れてないからなんだよ。
だってあなたは親なんか、なかなか死なないと思ってるし、自分も死なないって思ってるから、そういうことが言えるけど、ホントにお母さんってもう、年だから、明日死んじゃうかもわからないし、あと、一週間の命かもわかんない。
そしたら、そんなことがパッと言える訳ないんだよね。
だって本当は、愛してるんだよね。
だから、自分も明日死んじゃうかもわかんないんだ。
お母さんも明日、死んじゃうかもわからないんだ。
そう思うと、心の中から愛のある言葉がスッとでるよね。
この死の天使というのは、そうやってフッと死の天使を思い出しただけでも、心から正しい愛情が出てくるよね。
っていうことを言ってるんです。
死ぬまで、親が許せない、父親が許せなかったって人もいるんです。
だけど、本当にその父親が死んで何年も何年もしてくると、だんだんだんだん許せるようになったり、ひとつもいいところが無いって思ってた父親の、いいところがポツンと思いだしたり、これも死という天使があなたの心の中に変化を起こさしてくれるんです。
ちょっとひっくり返ったらすぐ死んでしまうようなことをしている暴走族とか、命を無駄にしてしまう人がいるけど、死を恐れないというのと、命を無駄にするというのは全然違う意味なんだよ。
大切な大切な命なんだから、この大切な命をちゃんと全うしなくちゃいけないよ。
それで全うしたときに、最後に出てきて、迷わないように、ちゃんと連れて行ってくれる最高に美しい神様の事を、ああいうカマ持ったような悪魔のようなカタチで、表現したりするのはいけないよね。
それは違うと思うよ、っていうことを話してます。
自分なりに、精一杯このテープ入れて、私が今教えられることは、この程度の事です。
どうもありがとうございます。
すいません。
あのもう1コだけ追伸があるんでちょっと入れさしてください。
人って、等しく皆死にます。
誰でもです、逃れる事は出来ません。
そうすると、死というのは神様が与えたものだから、誰も逃れる事は出来ません。
そうすると、神様ってそんなに嫌な事を、大変な事を全員に与えるんだろうか?
そんなこと絶対にないんです。
人間は何回も生まれ変わって成長していきます。
魂の成長が止まる事もあります。
身体がボロボロになってしまう事もあります、古くなってしまう事だってあります。
今世で、学び終える事もあります。
いろんな事情があって人は死んでいきます。
死というものをそんなに嫌なものと捉える必要はないんです。
そして、必ず、死ぬときは死ぬときで、ちゃんと美しい人が迎えに来てくれるから、そんなに嫌な事じゃないんだよ。
それから、神様は、全員がが嫌がり、全員が困るようなことをしないんだよ……
(了)