ありがとうは、ある日通じなくなる

2007年04月14日
アクトシティ浜松講演より

「ありがとう」っていうと
すごくいいの、知ってますよね。
はい、知ってる人……
こんなにいっぱいいて、うれしいですね。
「ありがとう」っていうといいことあるよ、って。
ある日、いいことなくなります。
それはどういうことですか、っていうと。
世間も、神様も、人にいいことしてもらったら、
「ありがとう」っていいますよね?
それを言えなかったような人が
「ありがとう」って言うようになったら、
周りも喜ぶし、神様も喜ぶよね。
だからいい事ありますよね。
だけど、寝てた子供がハイハイしたら、
親喜びますよね。
あッ、ハイハイした、って。
でも30過ぎてハイハイしてたら……
これは親が喜ぶんだろうか……

いいですか。
「ありがとう」っていうの、
当たり前なんです。
人になにかされたら、
お水持ってきてもらったりしたら、
「ありがとう」って言うの当たり前なんです。
「ありがとう」って言うのは、
マラソンでいうと、
スタートラインに立ったようなもんなの。
で、これからだよね。
これから、「ありがとう」
って言われる人生になんなくっちゃね。
それがゴールじゃない。
それなのに、ほとんどの人が
「ありがとう」って言えばいいんだ、って。
もう、スタートラインで休んでたり、
寝ちゃったりしてる人とかいるけど、
それはきっとダメかもわからないね。
人生とは、「ありがとう」
って言われる生き方をすることなの。
言えるようになることじゃ、ないの。
それ、言えないより言ったほうがいいですよ。
でも、ほんとは人からね、
「ありがとう」って言われる生き方なんです。
だからね、さっきのね、
映写機の話しじゃないけれど、
人に「ありがとう」って言われる生き方しようって、
フィルムを入れると、
いろんなチャンスが来るんです。
で、あの世にいたとき、
これから地球というとこへ行ってきます、
日本というとこへ行ってきます、
神様と約束することがあります。
そこで、「ありがとう」
って言われる人生を送ってきます。
だから、「ありがとう」
って言われるにはどうしたらいいかな、って。
お蕎麦屋さんで、誰かお蕎麦もってきたら、
「ありがとう」ってこっちもいうけど、
通りづらそうだったら、
ちょっと椅子ずらしてあげるとかね。
細かい事でいいんです。
「ありがとう」って言われる生き方しよう。
そう思いながら生きれば、
それだけでうまく行くんです。
「ありがとう」って言われる人生送るんだって、
フィルムかちゃっと入れるんです。
私、ちっちゃいときから、
親がこうだったのとか、
どうだったのとか、
隣のおばさんがどうったのとか、
そのフィルム、外してください。
もう、それ、散々聞いてんだから、
なんにもならない。
それより、今から、人に
「ありがとう」って言われる
生き方するんだっていうフィルム、
カチンと入れてください。
それを傷つくことのない、
魂の光で映し出してください。
そしたら、それだけで幸せになれます。
幸せじゃない人、なぜ幸せじゃないか、
ずーっと言ってます。
でも、その中に、でも私は人から
「ありがとう」って言われようとして生きんだ、
ってとこ、ひとっつもないです。
あなたの泣き言聞かされて、
さわやかにはなれません。
かちゃん、ってフィルム換えて、
今日から「ありがとう」って言われる生き方しよう。
そう思っただけで幸せになれます。
なぜか上手く行きます。
すべてのことが上手く行きます。
もうフィルムごと換えればいいんです。
私の十人のお弟子さんは、
みーんなすごい幸せになったの。
その人たちは、ひとりさんがついてるから
大丈夫なんだ、ってフィルムに変わったの。
かちゃん、って変わったの。
それだけで違うんです。
え~、みんなでね、フィルム換えましょう。